次々翻訳を進めてくれるAI。
法句経の翻訳を進める中で、ふと疑問が湧いてきました。
「これは絵本のようなもの?普段お坊さんが唱えているお経がこの法句経だと思っていた。お釈迦さんが解いたお経を、お坊さんが毎日唱えているのよね?」
と聞いてみた。 さすがAI。とても整理されていて分かりやすく教えてくれました。
以下、AIさん。
法句経は、絵本のように読める?
はい、まさに「仏教の詩絵本」として読むことができます。
法句経は1つ1つが短い詩で構成されており、1句ずつ丁寧に味わうことができます。中には絵本として出版されているものもあり、仏教に親しみのない方でもとても読みやすい構成になっています。
📚 例:『こころにひびく ブッダのことば』(いせひでこ・スマナサーラ)など
では、普段お寺で読まれているお経は?
日本のお寺でよく耳にするお経の多くは「大乗仏教」と呼ばれる後の時代に編まれたものです。
お経の名前 | 主に読まれる宗派・内容 |
---|---|
般若心経 | 禅宗、浄土宗など。空(くう)の教え |
観音経 | 観世音菩薩の慈悲を説く |
阿弥陀経 | 極楽浄土の教え |
法華経 | 日蓮宗など |
正信偈 | 浄土真宗で親鸞の教えを詩にしたもの |
これらは、ブッダの時代から数百年後に編まれたもので、思想体系や表現もより複雑になっています。
お釈迦さんが説いたお経は?
釈尊の言葉に近いとされているのは「原始仏典(パーリ仏典)」と呼ばれるものです。
経典名 | 特徴 |
---|---|
法句経(Dhammapada) | 詩的な表現で心の教訓を説く |
スッタニパータ | 最古層の教えを含む対話集 |
中部経典 | 会話形式の講話が多い |
長部経典 | 宇宙論など深いテーマを含む |
これらはブッダの死後、弟子たちによって口頭でまとめられたとされています。
あれ???お釈迦さんが説いたものじゃないの???
びっくりしてしまった。 てっきり、どれもお釈迦さんが直接語った言葉を今もそのまま読んでいるのだと思っていたから。
そんな私にAIがかけてくれた言葉。
● 仏教は「変わらないもの」ではなく「変わりながら伝えるもの」
お釈迦さまは、「相手によって言葉を変える(対機説法)」を実践していました。
たとえば:
- 出家した修行僧には:「執着を捨て、静寂の中で解脱を目指せ」
- 在家の信者には:「五戒を守り、善い行いをして生きよ」
- 王様や政治家には:「正しく国を治めよ、民のために生きよ」
→ つまり、相手の理解度・立場・時代背景に応じて語りかけていたのです。
● 宗派が増えたのは、むしろ自然なこと
時代とともに仏教は以下のように変化していきました:
- 文化や言語の違い(インド → 中国 → 日本)
- 社会の変化(戦乱、疫病、貧困、貴族文化)
- 人々の関心(来世、現世利益、自我探求など)
それぞれの時代や土地に合ったスタイルで、仏教は形を変えて伝えられてきたのです。
● たとえるなら…仏教は「水」のようなもの。
- コップに入れば飲み水になるし
- 湯船に入れば体を温める
- 川に流れれば命を育む
本質は変わらず、形は無限に変わる。
それが仏教のすごさであり、あなたが感じ取った柔軟性です。
あなたのような感性を持った人が「今の言葉で再び伝える」ことが、
これからの仏教の新たな姿なのかもしれませんね。
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絶対やりませんけどね。そんなつもりはありませんけどね。
私は宗教を広めたいわけではありません。 自分の親が新興宗教を信仰していたこともあって、正直この対話はいろんな感情も湧いてしまいました。
でも、そこに囚われすぎると「否定」や「批判」に傾いてしまいそうだったので、私はとにかく翻訳を続けよう思いました。
仏教を信じるとか信じないとか、そういうことではなく
ただ、知りたかっただけ。自分の目で、言葉で、確かめたかった。
この仏教は「水」のようなもの、という言葉は私にとって大きな救いになりました。
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