法句経 【訳と解説ノート】第18章「垢品」Verse 235〜255

AI翻訳

◆ Verse 235

パーリ語原文:

Paṇḍupalāsova dāni tvaṁ,

vaṇṇo kaḷevaro ca te;

Maccuno samatikkanto,

na te kālo udassito.

日本語訳:

あなたの肌は枯れ葉のように色あせ、

身体も衰えた。

死の訪れが近づいているのに、

あなたは未だに怠り続けている。


◆ Verse 236

パーリ語原文:

So karohi dīpam attano,

khippaṁ vāyama paṇḍito bhava;

Niddhantamalo anaṅgaṇo,

dibbaṁ ariyabhūmiṁ upehisi.

日本語訳:

今こそ、自らに灯火をともしなさい。

賢者としてすぐに努力を始めよ。

垢(けがれ)を払い、汚れなき者となれば、

聖なる者の境地に至るであろう。


◆ Verse 237

パーリ語原文:

Upanītavayo ca dāni tvaṁ,

pacchā te nāvakaṅkhati;

Paṭhamaṁ dhammamācaritvā,

na pacchā tappati ācariṁ.

日本語訳:

あなたはすでに老いに近づいている。

今さら後悔しても遅いのだ。

だからこそ、最初から正しく生きるべきである。

そうすれば後に悔いることはない。


◆ Verse 238

パーリ語原文:

Tiṇadosāni khettāni,

rāgadosā manussānaṁ;

Tasmā hi vītarāgesu,

dinnaṁ hoti mahapphalaṁ.

日本語訳:

草は田畑を損なわせ、

欲は人を損なわせる。

だからこそ、欲を離れた人々に施すことは、

大いなる果報をもたらす。


◆ Verse 239

パーリ語原文:

Tiṇadosāni khettāni,

dosadosā manussānaṁ;

Tasmā hi vītadosesu,

dinnaṁ hoti mahapphalaṁ.

日本語訳:

草は田畑を損なわせ、

怒りは人を損なわせる。

だからこそ、怒りを離れた人々に施すことは、

大いなる果報をもたらす。


◆ Verse 240

パーリ語原文:

Tiṇadosāni khettāni,

mohadosā manussānaṁ;

Tasmā hi vītamohesu,

dinnaṁ hoti mahapphalaṁ.

日本語訳:

草は田畑を損なわせ、

迷い(無知)は人を損なわせる。

だからこそ、無知を離れた人々に施すことは、

大きな功徳を生む。


◆ Verse 241

パーリ語原文:

Tiṇadosāni khettāni,

icchādosā manussānaṁ;

Tasmā hi vīticchānaṁ,

dinnaṁ hoti mahapphalaṁ.

日本語訳:

草は田畑を損なわせ、

欲望は人を損なわせる。

だからこそ、欲望を超えた人々に施すことは、

偉大な果報となる。


◆ Verse 242

パーリ語原文:

Suppabuddhaṁ pabujjhanti,

sadā Gotamasāvakā;

Yesaṁ divā ca ratto ca,

niccaṁ buddhagatā sati.

日本語訳:

よく目覚めた者たち──

それは常に仏(ゴータマ)を想う弟子たち。

昼も夜も、彼らは変わらず仏を念じている。


◆ Verse 243

パーリ語原文:

Duppabbajjaṁ durabhiramaṁ,

durāvāsā gharā dukhā;

Dukkhosamānasaṁvāso,

dukkhānupatitaddhagū.

日本語訳:

出家の道は厳しく、

家庭生活もまた苦しみが多い。

愚か者と共に暮らすのはとても苦しい。

常に苦しみを生む者は、真の目的に至れない。


◆ Verse 244

パーリ語原文:

Sadā jāgaramānānaṁ,

ahorattānusikkhinaṁ;

Nibbānaṁ adhimuttānaṁ,

atthaṁ gacchanti āsavā.

日本語訳:

昼も夜も目覚めていて、

絶えず修行に励み、

涅槃を目指す者たち──

彼らのもとには、もはや煩悩は残らない。


◆ Verse 245

パーリ語原文:

Ayoge yuñjam attānaṁ,

yogasmiñca ayojayaṁ;

Atthaṁ hitvā piyaggāhī,

pihetattānuyoginaṁ.

日本語訳:

なすべきことをなさず、

なすべからざることに執着する──

真の利益を見失い、

欲するままに生きる者は、自らを損なう。


◆ Verse 246–247

パーリ語原文:

Na paresaṁ vilomāni,

na paresaṁ katākataṁ;

Attanova avekkheyya,

katāni akatāni ca.

日本語訳:

他人の過ちや行いばかりを

見てはならない。

自分自身の行いや過ちを

見つめるべきである。


◆ Verse 248

パーリ語原文:

Yathāpi bhamaro pupphaṁ,

vaṇṇaṁ gandhaṁ aheṭhayaṁ;

Paleti rasamādāya,

evaṁ gāme munī care.

日本語訳:

蜂が花を傷つけずに、

その色と香りだけを取り、蜜を集めるように──

聖者も村において、そっと歩むべきである。


◆ Verse 249

パーリ語原文:

Na paresaṁ vilomāni,

na paresaṁ katākataṁ;

Attanova avekkheyya,

katāni akatāni ca.

日本語訳:

(繰り返し)

他人の過ちやなしたことに目を向けず、

自分自身の行いを顧みよ。


◆ Verse 250

パーリ語原文:

Asubhānupassinā sato,

indriyaguttiṁ rakkhato;

Bhāvayato asubhaṁ,

arati nappaṭikkhīyati.

日本語訳:

不浄なるものを観じ、

常に気を配り、感覚を制御し、

不浄観を修する者には、

欲望への執着が自然と離れていく。


◆ Verse 251

パーリ語原文:

Tameva vācaṁ bhāseyya,

yāya attā na tappati;

Pare ca anuddayāyā,

sā ve vācā sukhotinā.

日本語訳:

自分を苦しめず、

他人をも思いやる言葉──

それだけを語るようにしよう。

そのような言葉こそ、心を穏やかにする。


◆ Verse 252

パーリ語原文:

Parahitaṁ hitānīyo,

sādhu mantā suṇāti yo;

So ve atthapadaṁ ñatvā,

na tampi atimaññati.

日本語訳:

他人の利益をも考え、

良き言葉に耳を傾け、

真理の言葉を知る者は──

それすらも驕らずに受けとめる。


◆ Verse 253

パーリ語原文:

Na tena hoti paṇḍito,

yāvatā bahu bhāsati;

Khemī averī abhayo,

paṇḍito’ti pavuccati.

日本語訳:

たくさん語るからといって、

賢者とは言えない。

穏やかで、敵意がなく、恐れを離れた者──

そのような人こそ「賢者」と呼ばれる。


◆ Verse 254

パーリ語原文:

Na tāvatā dhammadharo,

yāvatā bahu bhāsati;

Yo ca appampi sutvāna,

dhammaṁ kāyena passati;

Sa ve dhammadharo hoti,

yo dhammaṁ nappamajjati.

日本語訳:

たくさん語ったからといって、

法を守っているとは限らない。

たとえ少ししか学んでいなくても、

それを実践し、怠らない者──

その人こそ、真に法を保つ者である。


◆ Verse 255

パーリ語原文:

Na tena thero so hoti,

yenassa palitaṁ siro;

Paripakko vayo tassa,

moghajiṇṇo’ti vuccati.

日本語訳:

白髪だからといって、

長老とは言えない。

ただ年老いただけの者は──

むなしく老いた者と呼ばれるだけだ。


(第18章「垢品」おわり)

コメント

タイトルとURLをコピーしました