◆ Verse 235
パーリ語原文:
Paṇḍupalāsova dāni tvaṁ,
vaṇṇo kaḷevaro ca te;
Maccuno samatikkanto,
na te kālo udassito.
日本語訳:
あなたの肌は枯れ葉のように色あせ、
身体も衰えた。
死の訪れが近づいているのに、
あなたは未だに怠り続けている。
◆ Verse 236
パーリ語原文:
So karohi dīpam attano,
khippaṁ vāyama paṇḍito bhava;
Niddhantamalo anaṅgaṇo,
dibbaṁ ariyabhūmiṁ upehisi.
日本語訳:
今こそ、自らに灯火をともしなさい。
賢者としてすぐに努力を始めよ。
垢(けがれ)を払い、汚れなき者となれば、
聖なる者の境地に至るであろう。
◆ Verse 237
パーリ語原文:
Upanītavayo ca dāni tvaṁ,
pacchā te nāvakaṅkhati;
Paṭhamaṁ dhammamācaritvā,
na pacchā tappati ācariṁ.
日本語訳:
あなたはすでに老いに近づいている。
今さら後悔しても遅いのだ。
だからこそ、最初から正しく生きるべきである。
そうすれば後に悔いることはない。
◆ Verse 238
パーリ語原文:
Tiṇadosāni khettāni,
rāgadosā manussānaṁ;
Tasmā hi vītarāgesu,
dinnaṁ hoti mahapphalaṁ.
日本語訳:
草は田畑を損なわせ、
欲は人を損なわせる。
だからこそ、欲を離れた人々に施すことは、
大いなる果報をもたらす。
◆ Verse 239
パーリ語原文:
Tiṇadosāni khettāni,
dosadosā manussānaṁ;
Tasmā hi vītadosesu,
dinnaṁ hoti mahapphalaṁ.
日本語訳:
草は田畑を損なわせ、
怒りは人を損なわせる。
だからこそ、怒りを離れた人々に施すことは、
大いなる果報をもたらす。
◆ Verse 240
パーリ語原文:
Tiṇadosāni khettāni,
mohadosā manussānaṁ;
Tasmā hi vītamohesu,
dinnaṁ hoti mahapphalaṁ.
日本語訳:
草は田畑を損なわせ、
迷い(無知)は人を損なわせる。
だからこそ、無知を離れた人々に施すことは、
大きな功徳を生む。
◆ Verse 241
パーリ語原文:
Tiṇadosāni khettāni,
icchādosā manussānaṁ;
Tasmā hi vīticchānaṁ,
dinnaṁ hoti mahapphalaṁ.
日本語訳:
草は田畑を損なわせ、
欲望は人を損なわせる。
だからこそ、欲望を超えた人々に施すことは、
偉大な果報となる。
◆ Verse 242
パーリ語原文:
Suppabuddhaṁ pabujjhanti,
sadā Gotamasāvakā;
Yesaṁ divā ca ratto ca,
niccaṁ buddhagatā sati.
日本語訳:
よく目覚めた者たち──
それは常に仏(ゴータマ)を想う弟子たち。
昼も夜も、彼らは変わらず仏を念じている。
◆ Verse 243
パーリ語原文:
Duppabbajjaṁ durabhiramaṁ,
durāvāsā gharā dukhā;
Dukkhosamānasaṁvāso,
dukkhānupatitaddhagū.
日本語訳:
出家の道は厳しく、
家庭生活もまた苦しみが多い。
愚か者と共に暮らすのはとても苦しい。
常に苦しみを生む者は、真の目的に至れない。
◆ Verse 244
パーリ語原文:
Sadā jāgaramānānaṁ,
ahorattānusikkhinaṁ;
Nibbānaṁ adhimuttānaṁ,
atthaṁ gacchanti āsavā.
日本語訳:
昼も夜も目覚めていて、
絶えず修行に励み、
涅槃を目指す者たち──
彼らのもとには、もはや煩悩は残らない。
◆ Verse 245
パーリ語原文:
Ayoge yuñjam attānaṁ,
yogasmiñca ayojayaṁ;
Atthaṁ hitvā piyaggāhī,
pihetattānuyoginaṁ.
日本語訳:
なすべきことをなさず、
なすべからざることに執着する──
真の利益を見失い、
欲するままに生きる者は、自らを損なう。
◆ Verse 246–247
パーリ語原文:
Na paresaṁ vilomāni,
na paresaṁ katākataṁ;
Attanova avekkheyya,
katāni akatāni ca.
日本語訳:
他人の過ちや行いばかりを
見てはならない。
自分自身の行いや過ちを
見つめるべきである。
◆ Verse 248
パーリ語原文:
Yathāpi bhamaro pupphaṁ,
vaṇṇaṁ gandhaṁ aheṭhayaṁ;
Paleti rasamādāya,
evaṁ gāme munī care.
日本語訳:
蜂が花を傷つけずに、
その色と香りだけを取り、蜜を集めるように──
聖者も村において、そっと歩むべきである。
◆ Verse 249
パーリ語原文:
Na paresaṁ vilomāni,
na paresaṁ katākataṁ;
Attanova avekkheyya,
katāni akatāni ca.
日本語訳:
(繰り返し)
他人の過ちやなしたことに目を向けず、
自分自身の行いを顧みよ。
◆ Verse 250
パーリ語原文:
Asubhānupassinā sato,
indriyaguttiṁ rakkhato;
Bhāvayato asubhaṁ,
arati nappaṭikkhīyati.
日本語訳:
不浄なるものを観じ、
常に気を配り、感覚を制御し、
不浄観を修する者には、
欲望への執着が自然と離れていく。
◆ Verse 251
パーリ語原文:
Tameva vācaṁ bhāseyya,
yāya attā na tappati;
Pare ca anuddayāyā,
sā ve vācā sukhotinā.
日本語訳:
自分を苦しめず、
他人をも思いやる言葉──
それだけを語るようにしよう。
そのような言葉こそ、心を穏やかにする。
◆ Verse 252
パーリ語原文:
Parahitaṁ hitānīyo,
sādhu mantā suṇāti yo;
So ve atthapadaṁ ñatvā,
na tampi atimaññati.
日本語訳:
他人の利益をも考え、
良き言葉に耳を傾け、
真理の言葉を知る者は──
それすらも驕らずに受けとめる。
◆ Verse 253
パーリ語原文:
Na tena hoti paṇḍito,
yāvatā bahu bhāsati;
Khemī averī abhayo,
paṇḍito’ti pavuccati.
日本語訳:
たくさん語るからといって、
賢者とは言えない。
穏やかで、敵意がなく、恐れを離れた者──
そのような人こそ「賢者」と呼ばれる。
◆ Verse 254
パーリ語原文:
Na tāvatā dhammadharo,
yāvatā bahu bhāsati;
Yo ca appampi sutvāna,
dhammaṁ kāyena passati;
Sa ve dhammadharo hoti,
yo dhammaṁ nappamajjati.
日本語訳:
たくさん語ったからといって、
法を守っているとは限らない。
たとえ少ししか学んでいなくても、
それを実践し、怠らない者──
その人こそ、真に法を保つ者である。
◆ Verse 255
パーリ語原文:
Na tena thero so hoti,
yenassa palitaṁ siro;
Paripakko vayo tassa,
moghajiṇṇo’ti vuccati.
日本語訳:
白髪だからといって、
長老とは言えない。
ただ年老いただけの者は──
むなしく老いた者と呼ばれるだけだ。
(第18章「垢品」おわり)
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