法句経 【訳と解説ノート】第17章「怒品」Verse 221〜234

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◆ Verse 221

パーリ語原文:

Kodhaṁ jahe vippajaheyya mānaṁ,

saṁyojanaṁ sabbam atikkameyya;

Taṁ nāmarūpasmim asajjamānaṁ,

akiñcanaṁ nānupatanti dukkhā.

日本語訳:

怒りを捨て、慢心を手放し、

あらゆる束縛を超えた者──

名と形(存在)に執着せず、何も所有しないその人には、

もはや苦しみは及ばない。


◆ Verse 222

パーリ語原文:

Yo ve uppatitaṁ kodhaṁ, rathaṁ bhantaṁ va vāṇijo;

Patigaṇhāti sappañño, so ve nāgo ti vuccati.

日本語訳:

怒りがこみ上げてきたとき、

賢者はそれを手綱を引く御者のように制御する。

そのような者こそ「勇猛な象(ナーガ)」と呼ばれるにふさわしい。


◆ Verse 223

パーリ語原文:

Akkodhena jine kodhaṁ,

asādhuṁ sādhunā jine;

Jine kadariyaṁ dānena,

saccena alikaṁ jine.

日本語訳:

怒りには怒らずに勝ち、

悪には善で勝ち、

けちには布施で勝ち、

偽りには真実で勝て。


◆ Verse 224

パーリ語原文:

Saccaṁ bhaṇe na kujjheyya,

dānaṁ dāpeyya yoniso;

Saṁvibhāgī sukhaṁ seti,

muttiṁ so adhigacchati.

日本語訳:

真実を語り、怒らず、

適切に布施を与える者──

分かち合いを実践する者は安らかに暮らし、

ついには解脱に至る。


◆ Verse 225

パーリ語原文:

Sādhuṭṭhito sadā jāgaro,

santo saṁvutindriyo;

Nibbānaṁ adhimutto so,

bhikkhu tena pavuccati.

日本語訳:

よく目覚め、常に心を見守り、

静かで、感覚を制した者──

涅槃を目指すその人こそ、

まさに「比丘(修行僧)」と呼ばれる。


◆ Verse 226

パーリ語原文:

Na hi verena verāni,

sammantīdha kudācanaṁ;

Averena ca sammanti,

esa dhammo sanantano.

日本語訳:

憎しみは、憎しみによっては決して止まらない。

憎しみを止めるのは、ただ「憎しまぬ心」によってのみ。

これは永遠の真理である。


◆ Verse 227

パーリ語原文:

Pare ca na vijānanti, mayamettha yamāmase;

Ye ca tattha vijānanti, tato sammanti medhagā.

日本語訳:

人々は理解していない──

私たちがここで消えゆく存在であることを。

だがそれを理解した者たちは、

争いから離れていく。


◆ Verse 228

パーリ語原文:

Subhāsitassa sikkhetha,

santaṁ dhammaṁ samāhitaṁ;

Paṇḍitānaṁ bhāsitaṁ saccaṁ,

rakkheyya naṁ surakkhitaṁ.

日本語訳:

正しく語られた言葉、静かな真理を学び、

心を調えて生きるべし。

賢者の語る真実を、大切に守りなさい。


◆ Verse 229

パーリ語原文:

Na hi pāpasamācāro,

sadā sukhamavāpako;

Yathāpi bījamuṭṭhīnaṁ,

khaṇati mūlavādayaṁ.

日本語訳:

悪しき行いをする者が、

永遠に幸せでいられることはない。

それは、根を張った種がやがて破られるように、

必ず報いを受ける。


◆ Verse 230

パーリ語原文:

Dukkhaṁ hi dukkhatakkānaṁ,

yad atthaṁ nāvabujjhati;

Atthaṁ ca passato dhīraṁ,

dukkhaṁ na spīṇayanti te.

日本語訳:

苦しみに執着し、真理を知らぬ者にとっては、

すべてが苦しみでしかない。

しかし真実を見抜いた賢者にとっては、

苦しみもまた、心を乱さない。


◆ Verse 231

パーリ語原文:

Sukhakāmāni bhūtāni, yo daṇḍena vihiṁsati;

Attano sukhamesāno, pecca so na labhate sukhaṁ.

日本語訳:

すべての生き物は幸福を望んでいるのに、

それらを痛めつける者は、

自分の幸せを望んでも、

死後にそれを得ることはない。


◆ Verse 232

パーリ語原文:

Sukhakāmāni bhūtāni, yo daṇḍena na hiṁsati;

Attano sukhamesāno, pecca so labhate sukhaṁ.

日本語訳:

生き物を害さず、

すべてに慈しみをもって接する者──

自らの幸福を願う者は、

死後に真の幸福を得るだろう。


◆ Verse 233

パーリ語原文:

Mā’voca pharusaṁ kañci, vuttā paṭivadeyyu taṁ;

Dukkhā hi sārambhakathā, paṭidaṇḍā phuseyyu taṁ.

日本語訳:

誰かに対して乱暴な言葉を使ってはならない。

もしそうすれば、相手もまた言い返してくるだろう。

言葉の争いは苦しみを生み、

その報いは自分に返ってくる。


◆ Verse 234

パーリ語原文:

Sace neresi attānaṁ, kaṁso upahato yathā;

Esa pattosi nibbānaṁ, sārambho te na vijjati.

日本語訳:

もし自分自身の怒りを打ち砕くことができたなら──

まるで叩き割られた銅鑼のように──

そのときあなたは涅槃に達したのだ。

もはやあなたには、怒りは存在しない。


(第17章「怒品」おわり)

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