法句経 【訳と解説ノート】第10章 「刑罰品」Verse 131〜145

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◆ Verse 131

パーリ語原文:

Sabbe tasanti daṇḍassa, sabbesaṁ jīvitaṁ piyaṁ;

Attānaṁ upamaṁ katvā, na haneyya na ghātaye.

日本語訳:

すべての者は罰を恐れ、命を大切に思う。

自分に置きかえて考えるなら、誰も殺してはならないし、殺させてもならない。


◆ Verse 132

パーリ語原文:

Sukhakāmāni bhūtāni, yo daṇḍena vihiṁsati;

Attano sukhamesāno, pecca so na labhate sukhaṁ.

日本語訳:

幸せを求めているすべての生き物に対し、

罰を与え苦しめる者は、

自分の幸福を願っていても、死後それを得ることはできない。


◆ Verse 133

パーリ語原文:

Sukhakāmāni bhūtāni, yo daṇḍena na hiṁsati;

Attano sukhamesāno, pecca so labhate sukhaṁ.

日本語訳:

幸せを求める生き物を傷つけずにいる者は、

自分の幸福を願っているならば、

死後もその幸せを得ることができる。


◆ Verse 134

パーリ語原文:

Mā’voca pharusaṁ kañci, vuttā paṭivadeyyu taṁ;

Dukkhā hi sārambhakathā, paṭidaṇḍā phuseyyu taṁ.

日本語訳:

誰かに対して荒々しい言葉を言ってはならない。

もし言われたならば、相手も言い返してくるだろう。

怒りの言葉は苦しみを生み、その報いは自分に返ってくる。


◆ Verse 135

パーリ語原文:

Seyyo ayoguḷo bhutto, tatto aggisikhūpamo;

Yaṁ vācaṁ bhāsamāno pi, nā’numetī paraṁ tapo.

日本語訳:

もし怒りにまかせた言葉を話すくらいなら、

むしろ、燃え盛る鉄の玉を飲み込んだ方がましだ。

その言葉は他者に大きな害を及ぼす。


◆ Verse 136

パーリ語原文:

Vācānurakkhī manasā susaṁvuto,

Kāyena ca nākusalaṁ kayirā;

Ete tayo kammapathe visodhaye,

Ārādhaye maggamisippaveditaṁ.

日本語訳:

言葉を慎み、心をよく制御し、

身体で悪しき行いをしない者──

この三つの行いを清めることで、

賢者の示した道に近づくことができる。


◆ Verse 137

パーリ語原文:

Dandaṁ nidhāya bhūtesu, tasesu thāvaresu ca;

Yo na hanti na ghāteti, taṁ āhu brāhmaṇaṁ.

日本語訳:

生きとし生けるもの、動くものにも動かぬものにも

罰や暴力を用いず、殺さず、殺させずに生きる者──

その人こそ「真の修行者(ブラフマナ)」と呼ばれる。


◆ Verse 138

パーリ語原文:

Ahiṁsā sabbapāṭesu, sabbattha paṭipajjati;

Esa brāhmaṇasammatto, esa hoti suvimutto.

日本語訳:

すべての存在に対して無害であろうと努める者は、

どこにいても心安らかであり、

真に自由になった修行者である。


◆ Verse 139

パーリ語原文:

Na tena brāhmaṇo hoti, yena pāṇāni hiṁsati;

Ahiṁsakena brāhmaṇo, yaṁ passanti samāhitā.

日本語訳:

生き物を傷つける者は、修行者ではない。

心を調え、他者を傷つけない者こそ、

本当の意味での修行者である。


◆ Verse 140

パーリ語原文:

Na muṇḍakena samaṇo, abbato alikavādī;

Icchālobhasamāpanno, samaṇo kiṁ bhavissati?

日本語訳:

頭を剃っただけで修行者にはなれない。

戒を守らず、嘘をつき、欲にとらわれているならば、

それがどうして真の修行者と言えるだろうか?


◆ Verse 141

パーリ語原文:

Yo ca sameti pāpāni, aṇumattesu vajjesu;

Samādāya sikkhāpadaṁ, eso samaṇoti vuccati.

日本語訳:

どんなに小さな過ちであっても慎み、

戒律を受け入れて守る者──

その人こそ、真に修行者と呼ばれる。


◆ Verse 142

パーリ語原文:

Na tena bhikkhu so hoti, yāvatā bhikkhate pare;

Vissaṁ dhammaṁ samādāya, bhikkhu hoti na tāvade.

日本語訳:

他人からの施しで生きているだけでは、

その人は本当の意味で「比丘(修行僧)」ではない。

真理に従い、内面を修めた者が、

比丘と呼ばれるにふさわしい。


◆ Verse 143

パーリ語原文:

Yasassino yasassī ca, sīlavā ca anāvilo;

Saṅkhātadhammadhārī ca, taṁ bhikkhuṁ iti vuccati.

日本語訳:

高貴な行いをし、戒を守り、

心に曇りなく、真理を保つ者──

その人が「比丘」と呼ばれる。


◆ Verse 144

パーリ語原文:

Na tena ariyo hoti, yena pāṇāni hiṁsati;

Ahiṁsakena ariyo, yaṁ passanti samāhitā.

日本語訳:

生き物を傷つける者は、聖なる者(アリヤ)ではない。

無害であり、心を調えた者こそが、

真に聖者と見なされる。


◆ Verse 145

パーリ語原文:

Na muṇḍakena ariyo, yāvatā muṇḍati sīsato;

Yassa pāpāni sammanti, esa ariyo ti vuccati.

日本語訳:

頭を剃ったからといって、聖者にはなれない。

内面の悪が静まったとき、

その人こそ「アリヤ(聖者)」と呼ばれる。


(第10章「刑罰品」おわり)

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